藤本 鉄熊(ふじもと てつくま、1891年(明治24年)10月15日 - 1950年(昭和25年)9月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。

経歴

山口県出身。藤本弥四郎の息子として生まれる。1914年(大正3年)5月、陸軍士官学校(26期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第35連隊付となる。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業した。

1925年(大正14年)2月、陸軍省軍務局付勤務となり、イギリス駐在、イギリス大使館付武官補佐官を務め、1929年(昭和4年)8月、歩兵少佐に昇進。1931年(昭和6年)3月、歩兵第47連隊大隊長に就任し、関東軍参謀に転じ、1933年(昭和8年)8月、歩兵中佐に進み陸大研究部主事となる。1935年(昭和10年)8月、陸大教官に就任し、1937年(昭和12年)8月、歩兵大佐に昇進し、同月、兵科を航空兵に転科し航空兵大佐となった。

1937年10月、第10軍参謀となり日中戦争に出征。南京戦などに参戦した。1938年(昭和13年)3月、下志津陸軍飛行学校教官に転じ、飛行第6連隊長、飛行第6戦隊長を経て、1939年(昭和14年)8月、陸軍少将に進み第6軍参謀長に発令され、ノモンハン事件に出動した。1940年(昭和15年)12月、陸軍航空士官学校幹事に転じ、1942年(昭和17年)6月、第2航空軍参謀長に発令され満州に赴任。1943年(昭和18年)5月に待命となり、同年6月、予備役に編入された。同月に召集され南方航空輸送司令官となり太平洋戦争に出征。1944年(昭和19年)10月、陸軍中将に進級し終戦を迎えた。1946年(昭和21年)7月に復員した。

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。

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