アンドレ・ダリガード(André Darrigade、1929年4月24日- )は、フランス・ランド県ナロス出身の元自転車競技選手。

経歴

1951年から1966年までプロ生活を送り、ツール・ド・フランスでは毎回のように最初のステージでマイヨ・ジョーヌを獲得した他、1959年、1961年にはポイント賞も獲得。また、1959年には世界自転車選手権・プロ個人ロードを制覇した。世界選手権ではこの他、1960年は2位、1957年、1958年は3位に入っている。

この他、ツールでは通算17回の区間優勝、18回のマイヨ・ジョーヌ獲得を果たした他、ジロ・デ・イタリアでも区間1勝を挙げているが、総合順位という観点に立つと、山岳コースにおいて決まって大きく遅れを取っていたことから、ツールにおいては、1956年、1959年の16位が最高順位だった。

この他の実績として、1955年にフランス国内選手権、1956年にジロ・ディ・ロンバルディアを制している。

主な実績

1953年
ツール・ド・フランス 総合37位(第12ST優勝)
1954年
ツール・ド・ピカルディ 総合優勝
1955年
フランス 国内選手権 優勝
1956年
ジロ・ディ・ロンバルディア 優勝
ツール・ド・フランス 総合16位(第1ST優勝)
マイヨ・ジョーヌ6日間保持 (第1-第2、第4(b)-第6、第11)
1958年
ツール・ド・フランス 総合21位(第1、9、15、17、22ST優勝)
マイヨ・ジョーヌ5日間保持(第1、第9-第12)
ポイント賞 3位
1959年
世界自転車選手権 プロ・個人ロードレース 優勝
クリテリウム・アンテルナシオナル 総合優勝
ツール・ド・フランス 総合16位(第1、第11ST優勝)
マイヨ・ジョーヌ2日間保持(第1、第2)
ポイント賞受賞
1960年
ジロ・デ・イタリア 総合64位(第15ST優勝)
パリ~ニース 区間1勝
ツール・ド・ロマンディ 総合10位(区間2勝)
1961年
ツール・ド・フランス 総合32位(第1(a)、2、13,19ST優勝)
マイヨ・ジョーヌ1日保持(第1(a))
ポイント賞受賞
ドーフィネ・リベレ 総合40位(区間1勝)
1962年
ツール・ド・フランス 総合21位(第2ST優勝)
マイヨ・ジョーヌ4日間保持
1963年
ツール・ド・フランス 第16ステージ途中棄権(第12ST優勝)
1964年
ツール・ド・フランス 総合67位(第2、18ST優勝)
ドーフィネ・リベレ 総合45位(区間2勝)

外部リンク

  • アンドレ・ダリガード - サイクリングアーカイヴス(英語)

アンドレ・ドグラスさんのインスタグラム写真 (アンドレ・ドグラスInstagram)「Life is what you make it

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