市川 白猿(いちかわ はくえん)は、歌舞伎役者の名跡及び俳名。
その由来は、二代目市川團十郎以降の團十郎が名乗ってきた俳名である栢莚(はくえん)を、五代目市川團十郎が、「猿は人間に毛が三筋足らぬ」という俗語になぞらえ、「祖父や父たちの足元にも及ばない」という意で白猿と名乗ったものとされている。
- 五代目市川團十郎 - 自身の子である六代目市川團十郎が早逝した後に、白猿の名で舞台に上がった記録が残っている。
- 七代目市川團十郎 - 五代目團十郎の孫。江戸追放中に祖父の名跡を役者名として使用していた。
- 八代目市川團十郎 - 五代目團十郎の曾孫かつ、七代目團十郎の長男。祖父および父の俳名を自らも名乗っていた。
- 七代目市川海老蔵 - 五代目團十郎の曾孫かつ、七代目團十郎の三男。安政6年(1859)1月から役者名として使用した。
- 十三代目市川團十郎 - 十一代目團十郎の孫かつ、十二代目團十郎の長男。
脚注




