下長者町(しもちょうじゃまち)は、愛知県名古屋市中区にあった町名
地理
学区
- 小学校 - 名古屋市立名城小学校→名古屋市立御園小学校
人口の変遷
国勢調査による人口の推移
歴史
江戸期は名古屋城下の町人町の1つであった。
町名の由来
清洲城下にあった長者町が移転した清洲越しによる町名であり、在清須時代に富豪が多く住んでいたことによるとみられる。上長者町に対して名古屋城から離れているため、「下」の字を付けた。
沿革
- 1871年(明治4年)9月29日 - 八百屋町の一部を合併。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 郡区町村編制法により、名古屋区下長者町となる。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 市制施行に伴い、名古屋市下長者町となる。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 行政区新設に伴い、西区所属となる。
- 1936年(昭和11年)1月1日 - 一部が広小路通となる。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区新設に伴い、栄区所属となる。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区が中区に統合され、中区所属となる。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示実施に伴い、全域が錦二丁目となり消滅。
出身・ゆかりのある人物
- 伊藤常七(万常紙店代表社員、紙類卸問屋、愛知県多額納税者) - 店舗が下長者町2丁目にあった。
脚注
参考文献
- 『中京名鑑』名古屋毎日新聞社、1932年。
- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
関連項目
- 名古屋市の地名
- 長者町繊維街




