屋嘉節」(やかぶし)は、琉球民謡の曲のひとつ。1945年の沖縄戦後に、金武村(現在の金武町)屋嘉に設けられた旧日本軍将兵の捕虜収容所で創作された。作曲は山内盛彬、作詞は金城守賢とされることが多いが、渡名喜庸仁なども自分が作詞者だと称している。また、複数の異なる歌詞が「屋嘉節」として伝えられている。金武町に建立されている「日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑」の裏面に刻まれた「屋嘉節」の歌碑にある歌詞には、作詞者は明記されていない。さらに、同趣の曲として「PW無情」、「敗戦数え歌」があり、特に前者については歌詞が「屋嘉節」と繋げられて、ひとつの曲として扱われることもある。

成立の背景

1945年の沖縄戦後、焼き払われた金武村屋嘉集落の跡、後の金武町立嘉芸小学校の校地周辺を、米軍がブルドーザーで整地し、投降した日本軍将兵およそ7千人を収容する「屋嘉捕虜収容所」が設けられた。沖縄出身者の捕虜たちは、空き缶やあり合わせの木材を使い、パラシュートの紐を弦としてカンカラ三線を作り、演奏するようになり、やがて「屋嘉節」が生まれて広まったという。

このため、「屋嘉節」はカンカラ三線のレパートリーとして演奏されることもある。

鎮魂歌として

屋嘉節」の歌詞には、戦争のむなしさが歌われており、再び戦争が起きないことを願うという内容が含まれているため、平和教育において取り上げられたり、「沖縄慰霊の日」などの行事に演奏されることがある。

知花昌一は、2005年にヨルダン川西岸地区のパレスチナ自治区を訪問した際に、東エルサレムで「鎮魂歌」として「屋嘉節」を演奏したと報じられた。

関連項目

  • 屋嘉捕虜収容所

出典・脚注


屋嘉節沖縄民謡慰霊の日に向けて YouTube

屋嘉節 YouTube

屋嘉節 唄:前川朝昭 YouTube

知名定男「屋嘉節」1995年郡上ライブコンサート YouTube

屋嘉節練習動画 YouTube